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天龍橋

くらし支えて

一世紀

①天龍川に橋が初めて作られたのは、明治初年で湯の瀬の所であった。三代天龍橋は、約一世紀にわたり人々の暮らしを支えた。現在は四代目の天龍橋で平成22年竣工開通。

②明治10年上橋、 初代明治 29年、 2代明治37年、3代昭和10年にかけられた。

③初午や燈籠流しは天龍橋の上流のたもとで行われ、花火を橋の上で鈴なりとなって見たものだ。時又港が新しくなってからは、下流の港で行われるようになった。

龍江かるたを訪ねてより

天龍川

むかしは舟で

渡ってた

①江戸時代、川に橋をかけさせない幕府の政策により、川を渡るには渡船だった。時又~舟渡の渡船は、飯田と南山郷(龍江・千代・上久堅・泰阜)を結ぶ重要交通機関だった。

②天龍川の両岸に開ける河岸段丘上に水田や畑が作られ、天龍川の豊富な水が農業の源となり、豊かな伊那谷は天龍川なくしては生まれなかった。伊那谷にとって天龍川は「母なる川」である。時には「暴れ天龍」として災害がおきた。日本三大急流の一つであるが下流にダムが作られその面影はない。

龍江かるたを訪ねてより

帆をかけて

舟渡に帰り着いた舟

①馬より舟の方が、 十数倍の荷を運ぶことができる。 時又~静岡県の天龍川通船は、二百年も人や荷物を運んだ。 (昭和の初めまで)「舟渡の帰帆」は今田八景の一つ。

②積荷は格の皮、 塩、 魚、みかんなどが運び込まれ、 米、大豆、 酒、 醤油、 紙、 傘、 水引、 干し柿などが運ばれていった。

③時又には商店、銀行、映画館などがあり、大変賑やかだった。 望月優子、 三國連太郎の「荷車の歌」の映画のロケが昭和34年に行われた。

龍江かるたを訪ねてより
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