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  2. 龍江の紹介

このホームページは、南信州・飯田市龍江地区の自治組織「龍江地域づくり委員会」が運営しています。より多くの方に広く龍江を知ってもらうと共に、龍江に住んでいる人がより便利に生活すること、情報交換の場となることを目的として運営されています。

龍江とは

長野県の南部に位置する飯田市は20地区で構成されており、その内の一つが龍江です。天竜川に沿って南北に延びる盆地「伊那谷」の中、天竜川の左岸・竜東地域に位置し、飯田市と合併する昭和39年(1963年)までは、90年ほど龍江村という村でした。この龍江村は明治8年(1875年)、当時の今田村と1年前に七つの村が合併してできた七和村とが合併してできました。その時の村民一致団結の合言葉が、「今田七科八龍王の住の江と 名に負う郷ぞふるえ村人」、ここに八龍王の住の江『龍江』が誕生しました。

龍江の地理

立地場所は、いわゆる中山間地域で、標高400~600m程、面積12k㎡強で、東京の千代田区と同じぐらいの面積です。森林と原野で全体の50%、農地が25%程度を占めるりんご畑をはじめとする果樹園、棚田があちこちにある里山です。

天竜川河畔・段丘と、山間盆地で構成され、坂が多く、この傾斜により果樹園や棚田越しに、中央アルプスの遠景を望むことができます。西日が良く当たり、りんごの生育に適しており、龍江はりんご狩り発祥の地です。また地区内天竜川に接するエリアは、名勝天龍峡の一部を構成しています。また、森林は多様な地形に適応した様々な姿が見られ、龍江に最も多い広葉樹の森は、春は若葉、夏は深緑と涼しい緑陰、秋は紅葉の彩りを楽しめます。河原から水田、畑に丘陵に藪や森が多層的に広がる龍江、実はバードウォッチングにも最適な環境だったりします。

里山の暮らし

本棟造りと呼ばれる古民家もちらほらある里山には2,700名ほどの住民が暮らしています。都市で見られる完全なスクラップアンドビルドはほとんどなく、過去の痕跡が日常風景に残ります。旧石器時代から人の営みがあった所で、ハンバ古墳をはじめとするいくつかの古墳は今でも目にすることが出来ます。その後も、人の営みは続き、近代では世界恐慌や戦争の影響、暴れ天龍と呼ばれた天竜川による水害など人命が脅かされる自然災害をくぐり抜けて、また一次から二次、三次産業への働き方の変化もありつつも、令和の今も里山の営みを続けています。今では田畑を管理、自然の中で生活しながら会社勤めをする人が多い里山です。会社に勤めながら自然に近い里山で生活できるちょうど良い田舎がここ龍江なのかもしれません。

龍江の気候、アクセス

長野県内でも最も南に位置する飯田市は長野県で最も温暖なところです。ここ伊那谷は内陸性気候(気温の年変化、日変化が大きい、降水量、湿度が低い)と太平洋岸に近く南に傾いているため、太平洋岸気候も混在する気候が特長です。高速道路のICもあり、名古屋へは車で1時間半、東京へは3時間半ほどでアクセス可能です。リニア新幹線の開通を控えており、東京・名古屋が1時間以内でアクセス可能となり、首都圏、中京圏が通勤圏内になると言われています。

龍江の日常

龍江の景色

龍江の民間信仰