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櫓の音を聞いて

泳いだ

天龍川

①古くは天龍川通船が行き来し、ダムができてそれが終わると、観光舟下りが始まった。かわらんべ(水泳ぎの子ども)は、舟とともに夏を楽しんだ。

②明治末年までの来峡・舟下りは、文人墨客が主であったが、明治40年伊那電鉄が南下するに従い、その数が増えていった。大正期に入ると皇族、著名な軍人、政治家、外国人の来峡・舟下りの数が増えていった。 昭和7年に泰阜ダムが着工され天龍川の通船が途絶え、門島上流までの観光舟下りの事業が始まった。

龍江かるたを訪ねてより

昔の子

天龍はさんで

石合戦

①川を挟んでの石合戦は古くからあったそうな。声を合わせて悪口を言い合い、石を投げ合った。川幅の広い天龍で、石はお互い向こう岸まではとても届かなかった。憎いなどのけんかのムードではなく、あくまで遊びだった。

龍江かるたを訪ねてより

舟唄が

今田平を

流れ行く

①知らなんだなあ。こんなに遺跨があるとは。阿高には大墳墓群、細田には百棟の住居跡、道を作れば至る所というほど遺跡が出る。龍江も古代の歴史が深かったのだ。

②今までに34遺跡が数えられ、天龍川流域に大集落が見られ、標高500m以上の地区は数が少ない。縄文時代で主なものは城、阿高、細新、大平、田中下がある。古墳は、高森山から天龍川沿岸にかけて10基ある。石原(小学校北)、ハンバ(一本木)、法華堂(更生)、福沢(法華堂の南)、中原(大願寺北)、芦ノロ宮ノ平1号2号、羽入田原、白根ケ沢がそれである。

龍江かるたを訪ねてより