
4/27天龍峡八重桜街道さくら祭り開催
祖父も父も
ぼくも学んだ
龍江小
①明治5年、明倫小校(定継寺) ・明々小校(神明社)・梅田小校(尾林十王堂)が同じ年に開校した。以後百年を遥かに超える龍江学校だ。四世代又は五世代が学んでいる。
②明治9年、明倫小校は龍江学校、明々小校は今田学校に改称された。明治18年、一村一学区となり、龍江・今田両校が合併し、尋常小学校龍江学校となり、尾林支校が置かれた。明治20年(1887) 新校舎が竣工した。当時郡下屈指のモダン校舎で、「きそかめ」こと坂田亀吉氏の龍の彫刻のある立派な校舎であった。明治25年尾林支校が新築され、宮沢分教場と称した。
龍江かるたを訪ねてより
比丘尼岩
いま
学校の礎に
①小学校の南に、哀れな尼の伝説を秘める大きな岩群があり、比丘尼岩と言った。明治の学校校舎新築の時、これらの岩を割って使ったので比丘尼様の祟りの噂も出た。昭和26年の校庭拡張にもそれらを使った。
龍江かるたを訪ねてより
大ひのき
学校見つめて
幾星霜
①現在の位置に龍江学校が建てられたのは、明治18年、すでに百年を超えた。学校西に聟え立つ大檜は、自らの大きな影で午後の日時計となりながら、校舎をみつめている。
②一本木の地名はこの檜のあることから呼んだものと思われる。その木に藤がまきついていて、木の下には浅間様が祀られていたという。
龍江かるたを訪ねてより