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篆刻で

天龍峡焼

その名挙げ

①尾林焼から分かれて、天龍峡に出た陶エたちは、文字の策刻陶器に新機軸を出し、折からの観光地天龍峡の宣伝運動と相侯って、大きく売り出した一時期があった。

②千代の篠田・萩本両氏が諏訪の簾刻家の八幡氏にその技法を学び、尾林で陶器に策刻を施した。大正10年に木下卓斉氏の提唱で萩本・三輪両氏が尾林から分かれて天龍峡に窯を築いて作陶するようになった。これが天龍峡焼の創始である。その後、中村昇堂・稲垣銀次郎・篠田啓・市瀬久雄等各氏が次々と築窯し、天龍峡焼きの名を高めた。

龍江かるたを訪ねてより

四季の花

龍峡焼の

花器で映え

①天龍峡焼きには、壺・茶器・酒器・皿などいろいろある。その中で、やはり大きい壺や鉢は目立ち、花器として四季おりおりの花を生け、花を引き立て器も広まっていった。

龍江かるたを訪ねてより
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