1. HOME
  2. 和紙の里

なむあみだ

東照寺の丘に

紙屋の碑

①厳しい運用金に耐えかねて、 紙漉きー同が立ち上がった紙問屋事件。代表者が捕えられ、江戸で獄死した。 その9人を弔う石碑が、東照寺の東段上にそびえ立っている。

②紙問屋が開設され口銭(手数料)が高いので交渉したが聞き入られず、文化6年(1809)問屋を襲撃した。裁判の結果投獄され獄死し、東照寺に葬られた。明治からの養蚕が盛んになるまでは和紙の生産が主な産業だった。

龍江かるたを訪ねてより

殉難の

歴史を残す

和紙の里

①江戸時代から昭和初期まで、紙漉きは農家の副業として生活を支えた。それを守り抜く為、戦った人々から悲惨な犠牲者を出した悲しい歴史が語り継がれている。

②応仁2年 (1468) 竜東一帯を支配していた知久氏が紙を諏訪大社へ奉納した記録があり、室町時代初期から南山なった。

龍江かるたを訪ねてより

春日社に石碑大きく和紙の里

①かつて農家のほとんどが、和紙を漉いていた。障子紙・唐傘の紙・元結水引の紙などであった。原料の格は地元だけでは間に合わず、通船で取り寄せた。大産業だった。

②応仁2年(1468)竜東一帯を支配していた知久氏が紙を諏訪大社に収めた。室町時代初期になると、南山から泰阜一帯の格産地を中心に紙漉きが盛んになった。米に換算して和紙が年貢として課せられた。 春日社の歴史は、知久神之峰城の出城、原の城の城主、桃井定継に始まり、桃井家の氏神であったと記録されている。しかしその後長い間神社としての手続きをしなかった為、明治初年の神社明細に登録がなく、昭和15年にやっと神社局の許可で神社明細にのり昭和19年に村社となり20年に1区の神社となった。

龍江かるたを訪ねてより