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  2. 思伊出桜 誕生記

思伊出桜は1970年に偶然見かけた桜が思いがけないもので山桜系新品種の“正永寺桜”と命名された。1980年には喬木村里原の民家でこれまた偶然みかけた大輪の里桜が珍しいもので、“里原”と命名された。

『正永寺桜』の原木
1980年に新品種登録された『里原』

当時の飯田地方の桜は調査がされておらず、新品種がみつかる可能性がある処に生まれた幸せを感じながら桜道楽を続けた。

そんな中、旧上郷小学校の校庭に咲くとある桜も私を悩ませる一つあった。それは、5~10枚の花が混じり合って咲く彼岸系で全国どこにも知られていなかった。さんざん悩んだ挙句に2004年と2005年の2回、4月の開花を待って専門家に調査を依頼した。大きな木全体を調査した先生は、「一枝だけでなく5弁~10弁の花がランダムに咲く枝垂れ桜は登録が無く新品種です」と判定してくれた。なんと、彼岸系でも3つめの新品種をこの飯田で発見できたという幸運に恵まれたのだ。

この桜は、今まで“半八重彼岸枝垂れ”とその開花状態で呼ばれていたが、新品種認定後に座光寺地区で名前を公募したところ“麻績の里舞台桜”と命名された。その珍しさから徐々に人気が高まり、今では毎年数万人の人が鑑賞に訪れる飯田市を代表する名桜となった。

桜は5枚の花弁(一重咲き)が基本で、10枚20枚と増えて八重桜と呼ばれる、また、菊桜と呼ばれる品種では花弁が300枚を超す物まで存在する。

半八重咲きと呼ばれる花弁が5枚~10枚くらいの品種の一つに、茨木県思川の近くで50年位前に発見されその名がついた彼岸桜系で色目の良い“思川”という品種がある。その“思川”がまだ若木ではあるが飯田市内の公園に植えられており、毎年花が咲くのを楽しみにしていた。1996年の6月にこの桜の下を通りかかった時「おや?」と思い車を止めた。珍しく紫色に熟した果実(サクランボ)があり、割合低い所で20粒ほど採れた。家に持ち帰り、翌年1997年の春に種を蒔いたところ5粒が実生し大切に育て4年後の2001年に初開花した。そのうちの1本が完全に八重化した物で、花弁が15枚~20枚の美しいものだった。

桜の実生苗から「新品種」が生まれる可能性は非常に少なく、約1万分の1だとも云われている。そんな幸運があるはずがないとも思えたがともかく美しい桜であった。

さて、名前は何にしようかと考えたとき、“思川”から生まれたので“思”を入れて、飯田で生まれたので“思飯田桜”?だがどうも語呂が悪い。そうだ伊那谷から出たにちなみ“思伊出桜”にしようと想い着いた。仮に“思伊出桜”として接ぎ木による繁殖をして各地に配布した。幸い生育も良く鑑賞性が高く花もちもよいと評判で、千葉の友人が「いい花だから是非新品種登録をしてみたら」と勧めてくれた。

 日本花の会の品種登録制度が2013年から始まっており、毎年1つ位の新品種が登録されていた。じゃあ登録しようかと書類と写真を添えて提出した。実は、すでに10年ほど前に花の会の農場に苗木を送ってあったので、花の会の先生は大方花の様子は分かっていたが、原木を見なければ決定はできない。2018年4月17日の満開近い日に田中先生が来飯して我が家の原木を調査した。花を400位摘み、花弁数を調べる。その結果、15~20枚の八重桜で来歴がはっきりしている“思川”実生等その他90以上の項目を調べた。結果、新品種と認定された。認定書の日付はその日でもよいが希望日があれば対応できるとのことに、私の80歳の誕生日6月18日にしてもらった。

森田和市氏自宅庭の『思伊出桜』の原木

我が家の原木も毎年数十粒の種を付ける。これをまいてみるとまた違う桜が生まれてくる。花びらの枚数が違ったり、花が少し小さかったりと同じものは出来ない。それがまた不思議である。

思伊出桜の接木苗と接木を待つ台木
思伊出桜の接木苗の根張り具合を確認する森田先生

枯れ木に花は咲かない でも希望には 花が咲く —森田和市氏