私は、時々桜の夢を見る。それは20年前に家内と訪れた奈良の吉野山の全山満開の中を歩いた思い出であったり、見たこともない桜の花だったりする。夢の中では、一重の薄紅の花に3枚位のやや色の濃い花弁が重なる実現しない花など、様々な夢の花が表れて「ああ、あんな花があったなら」と夢を楽しむ。
思えば我が人生は夢の様な幸運の出会いであった。佐野藤右衛門先生と“正永寺桜”、植物画家太田洋愛先生、植物学者小林義雄先生と“里原”、そして“麻績の里舞台桜”の田中秀行先生。次々と私の夢の様な人生を彩ってくれた。
2018年には“思伊出桜”が新種登録されてまた新たな夢が実現した。正に私の「桜夢庵」が叶った様な気がしてならない。
でも夢はまだ続く、そう続編があるのです。そんな馬鹿なと思うでしょ。しかし、13年前高森町吉田の城址跡に有る桜を見て欲しいと依頼を受け見に行くと、確かに私の見た事もない大輪の山桜で美しい。でも私の浅はかな知識では確認は出来ないと翌年の開花を待って田中先生を招聘して見てもらうと、花が大きいし珍しいが類似品種が在り僅かの事で新品種には成らなかった。
その後、原木と接ぎ木をして20数本に花を増やした。そして、令和4年にもう一度高森町の方が調査依頼して田中先生が来飯した。田中先生に増やした花を細部に渡り調べてもらい、新品種に間違いないとして、5月に“高森古城”と命名・登録され高森町に登録書が届いた。
調査を終えた田中先生に、「実はもう一本見て欲しい桜があります」とお願いして、桜街道へご案内した。
桜街道は田中先生の発案で実現した全国的にも珍しい八重桜の街道で、飯田観光の一つとして脚光を浴びてはいるが、苦節23年、年に1、2本の枯れ木も発生し捕植をしている。
2021年にも、我が家の畑から2本植え替えたが其のうち1本がどうにも気になっていた。年号が平成から令和に変わった2019年4月初めに開花した花は“関山”に似てはいるが開花が1週間早い・・・もしや新しい桜か?と。
2022年4月13日朝に満開の花を確認して 田中先生を街道にご案内すると、田中先生が開口一番「森田さんいい花ですねぇ」とまず花の良さを褒めて下さり、「なんと呼んでいますか?」との質問に、「関山より早いので、仮名“早生関山”です」と話すと、「この時期(4月中頃)では見た事もないいい花ですねぇ。」さらに、「新品種の可能性が在ります」と花の細部を調べる為、花房を20個位タッパーに取り持ち帰った。この時はまさかそんな事はありえないと桜街道の会長や役員の方を呼んでなかった事を反省した。
―この桜が生まれるまで実に10年程の歳月を要した。我が家の畑に“御車返し”と言う平安時代から京都に伝わる品種が在り、その時代の高貴な方々が牛車で都通りのこの桜を目にして、「あれは八重桜」「いや一重桜」と意見が分かれ御所車を返したところ、八重と一重が混在していて“御車返し” と名が着いたと伝わる半八重品種でよく種がついた。その種を蒔いた実生苗数本が育ちその内1本が平成~令和と変わった4月初めに開花。しかし、あれ?見た事が無い花だ?関山に似ているが約1週間早い。もしやと言う期待とそんな事はないと思いながら2021年3月に桜街道へ補植した。-
そんな事を車内で話ながら田中先生をご案内した。その開口一番があの言葉であった。
桜の品種同定では現在1番の田中先生でも、花房のみでは確定できない。品種認定には98項目の細部記載事項が在り 葉や幹も調べなくてはならない。田中先生より「4月に出来なかった調査を5月31日に又飯田まで行き調査します」と連絡を頂き、今度は会長や管理部長に連絡を取りその日を待った。
5月、葉の細部を調査した先生が「間違いなく新品種です」と、さらに「森田さん品種名は何にしますか?」と聞かれた。私は、我が家の畑にあるのなら自分で決めても良いが桜街道に植えた以上私の一存では決められないと思い、「龍江で公募して決めたらどうか」と会長に提案した。会長も「森田さんがそれで良ければ」と了承してくれた。園芸品種登録は、仮称“御車返し実生”で5月31日に出来た。
7月の龍江新聞に画像と品種名募集の記事の掲載と回覧板も周り8月末日迄募集した。何と75件もの応募があり、“今田○○”や“龍江○○”など龍江に関係した名前が多かった。9月12日桜街道主要役員が集まり、品種名を決める会議が持たれた。いざ決めるとなると色々あり中々結論が出ない。そこでまず5作品を選びそれを投票で決める運びとなり、最後に“龍江の誉”が選ばれた。正に桜街道は龍江の誇りで有るし、そこに新たに“龍江の誉れ”が生まれた。いい名前であると思う。しかも今年が龍江小学校の創立150周年の記念すべき年に、龍江小学校校歌の一説の「誉も高き龍江小」からこの名前を思いついたとの発案者の言葉に、正に龍江に相応しい名前と思えた。
末永く桜街道に咲き誇ってほしいしこの品種の増殖をして多くの“龍江の誉”を残して行きたい。